善意の波動に目覚めたリュウ

俺より優しい奴に会いに行く

ドッヂボール論

昨今、スポーツ会の闇がよくニュースで

取り上げられているのを見る。


人によっては、オリンピックに向けての浄化

と「敢えて、やっている」みたいに言うけど

スムーズにオリンピックを迎えたいなら、

わざわざ事を荒だてることは無いはずだ。


それより「たくさんあり過ぎて漏れてる」

だけだろう。たまたま表面張力の限界が

来ただけのことだと思う。


そして、当たり前だとも思う。

スポーツ協会の重役を担っている人間なんて

若い時から、いわゆる「スポーツマン」に決まっていて

総じてそういう奴らは性格最悪だからだ。

僕はそれを知っているから、スポーツ会で

誰がどんな悪事を働いても何とも思わない。


「スポーツマン」という概念はどこから来るのか

ズバリ「小・中学生のドッチボール」だ。

ドッヂボールの出来る、出来ないで

スクールカーストは決まる。

足の速い遅いという意見もあるけど、

リレーなんてものは運動会の時くらいだし

あとはただの記録で、個人責任だ。


ドッヂボールは責任が伴うし、四方八方から

自分の運動神経のなさを凝視されてしまう。

そしてドッヂのエンカウント率は圧倒的に高い。

やたら声の大きい「スポーツマン」が

事あるごとに提案するからだ。


そのせいで、日々運動音痴をマザマザとクラスメイト

全員の目に焼き付けられる。

あと「当てる→死亡」の野生的なルールも

相まって、日々「コイツより格上、格上!」

という認識を「スポーツマン」の中に植えかねない。いや確実に植えている。


植えつけた結果、凶暴な人間が出来上がる。

勝ちに固執し、勝ちに貢献出来なかった

人間を平気で罵倒する。日々ボールを

当てている人間に対しては、特に強気で

罵倒する。自分の方が格上だと言う確信が

あるから、大手を振るって罵倒する。

クラスメイトも、ドッヂボールによって形成

された脳内のスクールカースト表を鑑みて

そいつを諌める事は出来ない。

そいつよりドッヂボールが強い奴か、

ドッヂボールの関係ない女子の中の女王みたいな

奴でない限りは誰もそいつを止められない。


凶暴な人間が、凶暴な人間であることを

許されるのがスポーツ会。活躍できれば

誰も文句を言わない。


清廉潔白な人物もたまにはいるだろう。

でもそういう人らは、多分凶暴な人間を

見て、それを反面教師にした上で、

ある種のリミッターを働かせている。

プロスポーツ選手は、入ったら入ったで

実力の差があるから、アマチュア時代の

横暴が出せなくなった末に性格が丸くなった

ケースもあるかも知れない。

イチロー本田圭佑レベルまで行くと、

突き抜けすぎて、違う人種として見た方が

いいかも知れない。でも、その2人とも

性格悪いんじゃないかなぁ〜とも、

インタビューを見る度に思う。


もうね〜

「90%のスポーツマンは性格が悪い」と

断言したい。


科目名は「体育」じゃなくて

「弱肉強食」に変えて欲しい。


もうね〜〜…

齢二十九にして、学生時代性格の悪かった

同級生たちの夢なんて見たくない。


あと留年の夢も、そろそろいいだろうに

何で単位が足りなくて焦る夢を

月一で見ることになるかなぁ。


https://youtu.be/RiF-V_SF3NY

好きなWEB漫画家のラジオで

似たようなこと言ってた。

「スポーツマン」に対して

敢えて現状を自慢しに行きたい気持ちは

ないけど、引っかかって取れない、正に

呪縛のようなものがある。


僕に救いがあるとすれば、

一番俺に突っかかってきた「スポーツマン」が

今やフリーター兼地元愛を歌うラッパー

として大活躍(笑)をしているということだ。


アメフト、レスリング、ハンドボール

野球、サッカー、ボクシング…

スポーツの素晴らしさとか正直どうでもいい

誰に伝えなくてもいい。

明日、全部なくなってもいい。


運動神経の良さをマウントし合う文化なんて

そもそも原始人だった頃の名残りなんだから。